彼らの日常はボーダーラインすれすれでバランスを保っていた

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「お夕食は?」 翔子の問いに返ってくるのは、「遅くなる」という短い言葉だった。 いつもそうだ。 要るか要らないかを聞いているのに、『遅くなる』――無駄になる可能性は半々だが、この答えの場合は準備をしておかなければならない。 もう慣れたこととは言え、たまには『今日は早く帰って来るよ』とか『今夜は和食にしてくれ』などという答えが欲しくなる。 だが、翔子は決してその不満を口にはしなかった。 彼女には負い目がある。 子育てを――知宏に続き、下の彩香の子育てまでもを【失敗した】という負い目が。 夫が家にいる時間を好まないのは子供達のせい――つまりは、子供達をああいう風にしてしまった自分のせいである。 夫が知宏を、彩香をなじる言葉を何度も聞いた。 それらは全て、自分をなじる言葉に変換されて翔子の耳に届いた。 この家庭において一番の役立たずで失敗作なのは自分だと、彼女は信じて疑わなかった。 「いつも遅くまで、ご苦労様です」 本当は夫の帰りが遅いのは仕事のためではないことを知っている。 けれど彼女は、そうやって頭を下げることでしか、この家で息をしていられない。 何も言わずに洋介が席を立つ。 腕を振るった朝食は半分以上手付かずだが、それを見て今日は食べてくれたと感じる程度に彼女の感覚は狂っていた。
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