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深い水底に沈んだような静寂の中に、精密機械の冷たい作動音だけが聞こえる。
俺は部屋の真ん中に置かれたベッドに歩み寄り、無機質な目をして視線を落とした。
「雪菜…ただいま。…どうしたんだ?今日は少し顔色が良いじゃないか」
俺は妻の頬に手を当て、口端を引き上げて笑みを浮かべる。
「…もしかして、待ち人から連絡が来たのか?」
落とした視線を妻の枕もとに滑らせ、置かれた携帯電話を取り上げ指で触れる。
「…今日も連絡無しか。あの夜のメールを最後に音沙汰無しとは、おまえの彼氏は冷たいな。こんな姿になっても、おまえはあの男からの連絡を待っていると言うのに」
「……」
「…可哀想な雪菜。おまえは一人ここで夢を見続けるといい」
夫である俺を裏切り。
娘である咲菜までも裏切り。
真夜中に一人家を抜け出し、この体を捧げた…
あの男の腕に抱かれる、
快楽に満ちた夢を―――
「この閉ざされた闇の世界で…」
永遠に目覚ることの無い夢を、見続けていればいい―――
携帯電話を充電器に繋げ、機械に囲まれた妻を見下ろし歪んだ笑みを落とした。
………
ビルの隙間を抜ける風が、鈍い渦を巻き夜の闇に消える。
残酷な真実を知ってしまったあの日から、
深い悲しみは矛先を失った憎しみに姿を変えた。
俺は、雪菜の存在をこの世から消してしまった。
咲菜の記憶の中からも、全て。
―――俺が雪菜を殺した。
街を行く人々の単調なざわめきが、荒んだ俺の心をすり抜けて行く。
誰か………
救いだしてくれ……
光を失い暗黒の地に堕ちた
この朽ちた心を――――。
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