第1章

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 北島進はぞっとした。コーヒーを片手に酢イカを食べようとした時だった。酢イカと目が合った。そんな気がした。正直、理解しがたい感覚ではあった。だが、ススムは確かにそう強く感じた。  時間は午後八時。ススムは勤め先の小売店で仕事を終え、休憩室でその日一日を振り返っていた。今日もなんでもない一日だった。思い返せることなどその程度で、日めくりのカレンダーを二枚一緒に破ってしまっても全く問題がないような一日だった。    まるごと酢イカとはコンビ二などのつまみコーナーで百円前後で買える、なんの変哲のない商品だ。分かりやすく言えば〇っちゃんので有名なあのイカだ。赤く着色され手のひら程度の小さなイカがそのまま酢漬けにされ竹串に刺さった商品で、ススムの好物であった。地方の駅前の小さな小売店で店長をしているススムは毎日朝八時に出社し、夜八時に退社する生活を約五年程続けている。最初は繋ぎのアルバイトとして入社したつもりだったが、いつのまにかススムを採用した社員の移動が決まり、そのあとで社長から時給千円に特別手当で月に別途一万円で店長代理をと頼まれ、地方では奇跡のような金額の提示に釣られ、ススムは店長代理になった。そして月日が流れていつの間にか店長代理から店長になっていた。  店長だというととても大変そうだと思われがちだが、実に簡単で簡素で淡白な仕事内容だった。主婦のパート三人と大学生のアルバイトが二人。それから、高校生のアルバイトが一人の計六人がススムの部下だった。昼間は主婦、午後は大学生がレジに立ち、ススムはこそこそとバックヤードで本を読んだり、インターネットをだらだら読んだりして、思い出したときに発注や伝票の整理をしていればよかった。もちろんクレームや返金の対応や金銭の管理など責任が問われるような立場ではあったが、金銭の管理も毎日少し気にかけていれば大きな失態になるようなことはなかった。なのでススムはだらだらと時間が過ぎるのを待ち、仕事を終えると店で買ったコーヒーと酢イカを食べてから帰宅する生活をずっと続けてきた。なにか不満があるかと聞かれればなにもないと応えるだろう。  ただ、少しだけ。ほんの少しだけ、このままでいいのかと自答する時があった。だけどそんなときは必ず、すぐに仕事があるだけまし。これ以上を望むと罰が当たると、ススムは考えるようにしていた。
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