第1章

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 「俺の話を聞いてくれるか?」  たわいのない質疑応答が終わったあと、イカは突然切り出した。時計をちらりと見ると時間はいつのまにか九時になっていた。  「俺は酢イカだ。ここにくる直前までの事は正直覚えていない。だけど、昔。俺がただのイカだったときの記憶なら覚えている。俺は三人兄弟だった。兄貴、そして妹がいた。親は立派ではないが普通のイカで、その辺をちゃんと泳ぎ回り、俺たちの面倒を見てくれていた。俺はこんな身なりだけど人間で言うと十七歳だった。もちろん実年齢ではないぜ。俺は反抗期で兄貴のお気に入りの寝床を荒らしたり、妹のご飯を奪って食べたりしてちょっとヤンチャだったんだ。」  ススムはイカに兄弟や家族という認識があることに驚いた。  「親父に怒鳴られたり、母親に泣かれたりしても、俺の反抗期は収まらなかった。むしろ火に油を注がれたように俺は毎日イライラしていた。」  ふと、ススムは自分の十七歳の時の事を思い返していた。自分は親に一つも反抗もせず、従順な子供だったと思う。悪い友達も居なかった。頭は良くなかったが、悪くもなかった。何のとりえもない平凡な高校生だった。あの時はなにに思いを馳せ、なにを望んでいたのだろう。今では全く想像すらできなくなっていた。  「反抗期が収まらないまま、家族の中で俺はだんだん孤立していった。俺を放っておく両親も、俺をどこか見下してるような兄弟も大嫌いだった。ある日、俺は人間たちが俺たちの住処の近くで漁をしていることを知った。俺はわざと人間達が漁をするほうへ出かけると皆に告げて住処を飛び出した。今思えばみんなに心配されたかっただけなんだ。もちろん、俺は漁場には行かずに、沖の安全なほうでぼうっと泳いでいた。s一時間もしないうちに俺は飽き飽きして、住処へ戻った。そこには誰も居なかった。いつも絶対に住処を空けない母さんも、そこには居なかった。俺はまさかと思った。でも、たまたまかもしれないとも思った。俺は穴蔵の中でみんなの帰りを待った。だけど、いくら待てど暮らせど帰ってこない。すると近くの穴を住処にしているイカが俺に慌てた声で言ったんだ。お前の家族が漁師に捕まった。網にかかってる。まだ引き上げられていないけど、逃げ出せないみたいだ。ってな。俺は急いで漁場へ向かった。イカだって涙が出るんだぜ。海水よりもしょっぱい涙が俺の目から零れていた。」
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