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プロローグ
猫を拾った。
あれは僕の就職先が決まって、それまで住んでいたアパートをから今のマンションに移る用意をしていた最中のことだ。どんよりと曇った空の下、ひどく痩せて汚らしい猫が向こうから歩いてきた。あまりにもその姿がみすぼらしかったので、始めは雑巾が歩いてきたのだと錯覚したほどだ。正体が猫だと分かったとき、自然と匿わなければと思ったのだが、なぜそう思ったのかは自分でもよく分からない。
ともかく、僕と猫の共同生活はすでに二年目に突入しようとしている。痩せこけていた体はスリムという程度にまで肉をつけ、泥だらけで艶もなくなっていた毛並みは初雪のような白さを誇る。だれが見てもみすぼらしいという言葉は、もはや当てはまらないだろう。
「おーい、シロ」
シロというのは僕が拾った猫の名前だ。白いからシロ。自分でも安直だとは思っているけれど、あいにく名前を付けるときに、それを指摘してくれる人が近くにいなかった。
僕の声を聞き届けたのか、部屋の隅から甘えるような鳴き声が聞こえてきた。シロはたいそうな気分屋で、そのくせ寂しがり屋でもあるので常に同じ部屋の見つけにくい場所にいる。それでも名前を呼べば返事を返してきてくれるので、余計な心配をすることはない。
「ニャア」
「お、珍しいな……もしかしてお腹が空いた?」
「ニャア」
のっそりとした動きで僕の前に現れたと思ったら、どうやらご飯をご所望のようだ。猫用の缶詰を取り出すと、あからさまに尻尾を振り始めた。ふたを開けてやると、もぐもぐとおいしそうに食べていく。
そっと背中をなでると、シロは缶詰に顔を突っ込んだまま喉を鳴らした。昔は食べてる最中に触ろうものなら引っかかれたが、今ではこの通りなれたものだ。シロは気分屋なので、こんなときにしかその毛並みを堪能させてくれない。
こうしてシロと生活していると、どうしてもあの少女のことを思い出してしまう。二人とも本当は雪のように真っ白なのに、わざわざ自分から泥をかぶりに行く所なんかはそっくりだ。
結局のところ、僕には彼女のことを忘れるなんてできやしないのだ。彼女と過ごしたひと夏は、それだけ甘く、すこしだけ苦い思い出となって僕の奥底に沈殿している。
また会いたいと、そう素直に思った。
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