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利用者同士の雑談の中で、匠のことを話す佐藤さんは恋する乙女のように微笑んでいた。 他の作業をしながら、私の知らない小さかった頃の匠の話をそっと聞くのが小さな楽しみになっていたのに…。 ゾワリ、ゾワリとやっと消えかけていた嫌な感覚を思い出す。 「後はお願いしますね」 厳しい面持ちの所長と未だに意識がはっきりしない佐藤さんを乗せて、赤いランプを回す救急車は再びサイレンを鳴らし始める。 日差しの温かさと冬の冷たい風が頬を撫でた。 良からぬことばかりが頭を過ぎる私は足を這う鳥肌と涙を我慢するのに必死で、隣に並ぶ誰かの手を握りしめていた。 「さて、お昼にしましょうね」 その場を取り繕う先輩ヘルパーさんの指示に従って、遅めの昼食の準備に取り掛かるけれど、〈和み〉に残されたのは私たちは張り詰めた空気から解き放たれてもどこか空しさと不安に包まれていた。 普段と違う気配に気付けなかった自分を悔いながら、突然の報せを受ける家族の気持ちを察すると胸が張り裂けそうだ。 数時間後に戻ってきた所長から、命に別状ではないと聞いて自然と視界が潤んだ。 「佐藤さんね。インフルエンザかも知れないみたいで、他の検査も兼ねて数日は入院するそうよ」 うがい手洗いを徹底しなきゃいけないわねと話し合いながら、私は入院先の病院までのルートを頭に描き始めていた。
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