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浴槽に身体を沈めてホッと息を吐いた。
匠こそが「運命」だとするならば昌さんとの恋愛も別れも必須だった。
あの苦しさを知らずにいたら……
私は何もわからないままの薄っぺらい人間で、仕合わせの意味もわからないままだったと思う。
「私……乗り越えたんだぁ」
加湿気味の浴室の中で独りごちた。
秋空の下で別れた昌さんの顔も声も温もりも、今はもうはっきりとしていない。
昌さんの娘さんから譲り受けた手帳の内容も記憶は曖昧になっている。
もし、昌さんが……もし、昌さんと……
いくつものもしもを思い浮かべても、もうその先は思い描けない。
一人の空間で不意に笑って、温まった身体を湯船から起こした。
今週の土曜は家族三人で出掛けよう。
公園がいいかショッピングモールがいいか思いめぐらせながら身体を洗う。
昌さん。
私今ね、とても幸せなの。
貴方に出会えて本当に良かった。
あの頃より断然強くなった私を貴方はどう思う?
使い終えた浴室を軽く掃除して、換気の為に開けた窓から見えたのは住宅街の光たち。
私はその灯りをいつまでも眺めていた。
fin.
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