第1章

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 クリスは変わり者のネズミである。メイクモルトに潜む彼女は、ある時途方もない夢を持ち、今までその実現に向けて努力してきた。  彼女が目指すのは、『多種族の言葉を介するネズミ』になることである。  バイリンガルとも言えるが、規模が違う。博識のネズミから「ヒトは沢山の言葉を使い、逆に意思疎通ができないことが多いので、互いの言葉を学んで話の仲介役になる者がいる」という話を聞いたときに、クリスはその人間に憧れたのだ。そして、自分も複数の言語を扱えるようにと勉強を始めた。ネズミは他所から来た者でもあまり変わらない言葉を使うため、彼女は視野を多種族へと向けたのである。簡単なことではない。まず最初に羊の言葉を知ろうとしたとき、彼女はこっそり羊たちの会話を聞いていくつかの言葉を覚えた。その単語で言葉を学びたいことを必死に伝えようとしたが、最初に頼み込んだ相手は驚いてクリスを蹴り飛ばそうとした。次に頼み込んだ相手はクリスを踏みつぶそうとした。三頭目の年老いた羊に頼んで、ようやく言葉を教えてもらえるようになった。  無害なはずの羊でさえこれである。猫のような敵対種相手にこんなことをしたら、無事で済む保証はない。実際、カラスにさらわれかけたことが一度有った。一度決めたら後には退かない強い意志を持つ彼女だったが、流石に慎重にならざるを得なかった  羊以外の言葉の習得が難しいことに悩んでいたクリスは、ある日牢獄に迷い込んだ。大した食べ物にありつけそうもない雰囲気の中、脱出だけを目指していたクリスは、ある男の牢の中で足を止める。壁にもたれて座っている男は、片目だけ開けてクリスの方を見ていた。 (不思議な感じがする)  クリスはそう思った。何とも形容できない気持ちが、彼女の心を占めていく。この男からは、敵意を感じない。ヒトの多くはネズミを嫌う傾向があるので、十分に逃げ切れるだけの距離を保ってはいたが、男を観察せずにはいられなかった。 「   」  男が何かを言ったが、その言葉はクリスに理解できない。ヒトもまたネズミにとって敵対種なので、学習が進んでいないのだ。故に、クリスはその言葉が不思議な力を持つことを知らない。 (この男から、言葉を学べるかも、ね?)  急に疲労感が増し、クリスは男への理由のない軽い期待を抱きながら――意識を失った。
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