第1章

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 目を覚ました直後、クリスは自分の判断を後悔していた。敵意を感じなかったとはいえ、あろうことかヒトの前で意識を手放してしまった。無防備に眠っている間に、何をされたか分かったものではない。  現在、クリスの視線は床に沿って壁へと向けられている。頬を床に当てている状況だ。少なくともまだ生きている。四肢の状態を確認するため、自分の体へと目を向ける。 「――?」  何だこれは。自分は実はまだ寝ていて、夢を見ているのだろうか。  最初にクリスが思ったことがそれだった。自分の体なんて毎日見ている。自分が全身を灰色の体毛に包まれて、そこから四つのピンク色の足が出ている。顔も見る機会は少なかったが、視界には自分が唯一自信を持っていたチャームポイントの鼻がいつも見えていたはずだ。  しかし、今のクリスはほとんど毛が生えていない。手足が肌色で、細長くて、鼻もほとんど見えなくなっていて――目の前にいる男と似たような身体的特徴を有していた。 「   !?  !?」  意識がハッキリしたところで、今の自分がヒトであることを理解する。その状況が理解できたところでその原因が理解できず、何が起こったのか目の前にいる男に伝えようとするが、クリスの言葉は男に伝わらないどころか、単なる音さえほとんど出なかった。  ネズミの言葉はネズミの体に適した仕組みになっている。空気の振動という基本システムが同じでも、ネズミの言葉が人間の体で同じように口に出せるとは限らないのだ。  困惑しているクリスを見て、男が手を伸ばしてきた。さっきとは違って言いようのない恐怖を感じたクリスは、牢の中から逃げようとした。二足歩行なんて経験がないので、慣れない体で這うように鉄格子を目指し抜け出そうとする。しかし、入ってくるときには意味を成さなかった鉄格子が、人間となった彼女の脱出を阻んだ。両手で慣れないなりに強く握って押したが、その程度で抜け出せるはずもない。  恐怖感で取り乱していたクリスの頭に、男の手が置かれた。殺される、直感でそう思った彼女は、意思表示にならないと分かりながらも悲鳴を上げようとして、 「落ち着け、騒ぐな」  男の言葉でその動きを止めた。その言葉は、しっかりと元ネズミであるクリスに通用していた。理解できる言葉が来たため、パンク寸前だったクリスの頭は急速に落ち着いていく。
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