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質問だったかも分からないが、わたしは露程度に考えて答えた感じがする。そう、小難しい話になにも実感を廃して宙ぶらりんの考えを紡いだのでした。考えた試しがないので、考えるのに時間を費やした。時間が経ったなんて思えたのだから、多分経ったのかも。どうだろう。経ったのか。とにもかくにも、今まで一度も考えていなかったものだから、変にはっきりと内容を覚えている。喋ったのか思ったのかは曖昧で、どちらでもなかったのなら、ないでもなにもない。単純にどうにかして、伝えたのだった。
「戦い」
簡潔だった。それだけしか浮かばない。浮かぶには浮かぶ。でも戦争を戦争と謂わしめる定義は戦いしか考えもしない。心から滲み出て、浮かび上がった文字を反芻したに過ぎない。説明は出来ないし、無理だ。わたしはひたすらに分からないのであり、伝えたなにかの言葉だか考えだか、正体不明の不必要存在を待った。ぐるりと回った感覚。耳からか頭からか、心からか溶け透ける内容があった。
「それは争いだよ。……述べると切りがないが、それは無関係だ。生きたいとか殺したいとか、ままある感情の解れも零細であれ関係はない。それは戦争の下で起こるだけだ。それは戦争を戦争足らしめてはいないのだよ。では、戦争が戦争なのは何故か。群れをなすだけでは戦争にはならない。群れと群れがあり、双方の上に立つ者がいなければ戦争にはならないのだよ。とどのつまり、群れと群れが激突しようが戦争ではない。戦争には群れと群れを衝突させる思想が必要なのさ」
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