第1章

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パソコンを起動させた井草は先ほど淹れてきたコーヒーを口にした。 飲み物、というのは重要だ。井草は常々そう思っている。食事において舌は味を感じるためにある。そしてその舌には部位によって感じる味が様々だという。舌先、舌の右側、舌の右側。甘味、苦味、酸味。 だが、食事とは現代において固形物を主としている。それを歯で砕き舌で味わい飲み込む。そんな当たり前の流れに井草は疑問を持っていた。 固形物ではその味の全てを楽しんでいないのではないか、と。 舌の全てで味わっていないのだから、全ての味を感じてはいない。それではオーケストラにはならない。 チェロとオーボエとティンパニーを聞いてオーケストラを聞いた気になっている。オーケストラにはもっと多彩な色がある。ヴァイオリン、コントラバス、フルートその他全てを指揮者が導いてその色を醸し出す。フランスでは指揮者のことをシェフとも呼ぶらしい。 味でもそうだシェフが引き出した味をオーボエだけで判断してはならない。 が、一方で井草は食感も好んでいる。だから、液状のものだけを食べようとは思わなかった。 食後のオーケストラ。多彩な色。 それが、井草にとってのコーヒーだ。 多彩な黒を口にしながら井草はパソコン画面に目をやる。 その目は仕事中とは違い、高ぶった気持ちが現れていた。 さて、これが俺だ。 井草は全世界にむかって、こころの中で小さく囁くように叫んだ。
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