Ⅰ.11ヶ月の器の中

3/11
29人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ
「では待ち合い室でお待ちされますか?」 受付の女性が市川に訊く。 「いえ。時間もあるので、息子と院内をぶらぶらしています。」 「そうですか。では、先生が来次第ご連絡致しますね。」 市川は受付の女性と看護師に軽く頭を下げ、その場を後にした。 新館二階にある小児科のブロックから、本館に向かうため連絡橋を渡る。 大きな窓ガラスから澄みきった薄い青空が見える。 すぐ向かいには大きな高速道路が走っており、車が続々と通過していく。 市川は歩む速度を緩めながら、その様子をぼうっと見ていた。 その時、誰かに声をかけられた。 数歩先から、中年の女性が笑顔で手を振り歩いてくる。 それは市川もよく知る女性であった。 「お早う。市川さん。今日は非番なの? 偉いわね。お子さんのお守りをして。」 市川は軽く会釈する。 「お早うございます。野村さん。 どなたかのお見舞いですか?」 野村と呼ばれた女性の隣には、もう一人同年代の女性がいた。 市川の事を興味深げにじっと見ている。 「私は糖尿持ちでずっと通院しているの。 こちらはいつも私の送迎をしてくれるご近所の町端さんよ。」 野村は市川に隣の女性を紹介する。 「町端さん。こちらは市川さん。息子と同じ消防署で働いていて、昔私が敷戸のマンションに居たときお隣さんだったの。 市川さんの所の娘さんと、うちの長女の方の孫が同じ中学で、部活も同じなのよね。 祐希奈ちゃんも今合宿に行っているの?」 野村が捲し立てるような早口で言い、質問してくる。 「はい。祐希奈も一昨日から合宿に行ってます。この天気じゃあ、帰ってくる時には真っ黒に日焼けしてますわ。」 市川は笑いながら答える。 「元気でいいじゃない。弟くんの名前は確か、夕陽くんだったかしら。 大きくなったわね。今何ヶ月なの?」 話題の矛先は、市川の腕に抱えられた赤ん坊に移る。 「今月で11ヶ月ですよ。来月やっと1歳になります。」 市川の言葉がまだ終わらない内に、野村の隣にいた町端が、我慢できないと言った様子で身を乗り出してきた。 「まあ。いいわね。赤ちゃん。 私の所にも早く孫が出来ないかしら。」 町端は下品に笑いながら、赤ん坊の顔を覗き込む。 「あら。なんて可愛い…………」 そう言葉を発した所で、町端は思わず息を飲んだ。 あからさまに驚愕の表情を浮かべる。 その様子を見て、野村は慌てて場を取り持った。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!