Ⅰ.11ヶ月の器の中

4/11
29人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ
「じゃあ、私達はこの辺で。採血も終わったから、下の喫茶店で甘いものでも食べてくるわ。」 上ずった声でそう言うと、気まずい表情を浮かべながら市川の元から去っていった。 町端もそれに続き、ひとまずの作った笑顔を市川に向け、野村の後を付いていった。 町端はやや興奮した様子で、野村の耳元で何か質問している。 小声を努めている割には、二人とも充分過ぎる声量だった。 "ねえ、野村さん。あの赤ちゃんてもしかして……" "しーっ。聞こえるわよ。 お気の毒にね。染色体異常って言ったかしら。ちょっと違うでしょう。" "可哀想ね。びっくりしちゃった。" 好奇心丸出しの声が、辺りに響く。 "やっぱり、ある程度年齢が上がると、そう言うリスクも上がるって言うしね。 でも折角初めての男の子だったからねえ。" 町端がわざとらしく同情的な合図地を打つ。 "聞いた話じゃあ、お母さんの方が鬱っぽくなっちゃって、育児してないって噂よ。" "まあ。だからお父さんが病院に連れてきてるの?" "そうよ。夜勤で疲れているでしょうに。 いつもお父さんが連れてきているらしいわよ。予防接種も検診も、みんなお父さんがやっているって。" "いくら何でも、母親なんだから。ねえ。" 二人が離れて行くにつれ、非難の声は段々と小さくなっていった。 市川はまた高速道路の車を見ながら、穏やかに歩を進める。 途中、ベビーカーに赤ん坊を乗せた母親とすれ違った。 ベビーカーに座る赤ん坊は元気よく手に掴んだオモチャを振り回している。 市川はその姿をちらりと見る。 腕の中には寝息をたてる11ヶ月の息子がいる。 口の端から垂れる涎を、襟元の生地で拭き取った。
/66ページ

最初のコメントを投稿しよう!