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『例えば』という言葉は、よく仮定の話に用いられる。 例えば、「例えば、お前には付き合ってる彼女がいるのに、他に好きな子が出来たらどうする?」といった具合に。 この場合の『例えば』は、“もしも”、“仮に”、という意味合いだ。 この問いかけがなされる場合、その多くは現実に起こっている事とリンクしている、と俺は思う。 今の例で言えば、そいつには彼女がいて、他にも好きな子がいるってことはほぼ間違いない。 心のどこかに疚しい気持ちがあって、それから自分を守る為の手段として、自分ではない他者のことに置き換えるのだろう。 それは、思考の自己防衛みたいなもので、人間の本能に備わった生きていくのに必要な力なんじゃないかと思う。 つらいことを、そのつらさの分だけ、痛みや悲しみ、苦しみとして受け取っていたら、人間は生きていけない。 それをちょっとまろやかにする麻酔みたいな力が、『例えば』にはあるような気がする。 とは言え、『例えば』で思考に防波堤を作ったとしても、結局のところ現実にある事柄は何も変わらない訳だし、いずれは必ず何らかの形で対峙する時がやってくる。 俺自身がそうだ。 例えば、俺が他所の家の子どもだったら。 例えば、義父さんと母さんが結婚しなかったら。 例えば、俺が女だったら。 例えば、俺を選んでくれたら。 俺の思うそれは、どれもが途方もない。 でも、そんなことを考えることでしか俺自身を守れない。 どうせ叶わない。 本当の願いは何一つ。
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