エピローグ

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   それからのことを話しておこう。  年を越えられない、と言っていた昭三さんだったけど、裕子さんの献身的な介護のおかげで、新年を迎えられた。  だけどその二週間後に、彼は静かに旅立った。  裕子さんを始め、角児たち家族に看取られながらの最後だったけど、その時の昭三さんの顔は、とても病気とは思えないくらい、穏やかだったらしい。  昭三さんが亡くなる前、おれは見舞いがてら会いに行ったけど、二人のイチャイチャぶりに呆れたよ。でも安心したけどね。  裕子さんが昭三さんの髪を、短くつんでいた時のこと。 「綺麗にしておかないと、天国の扉を開けてもらえませんからね」  裕子さんの冗談に昭三さんは笑っていた。  すでに二人の間では、死に関する話題はタブーではなくなっていて、その明け透けな様は、まるで長年連れ添った夫婦のようで笑ってしまった。  そしておれは、車椅子がそのまま乗せられる、パワーゲート付きのレンタカーを用意した。昭三さんの身体が動くうちに、二人を新婚旅行に連れて行きたかったんだ。  熊本、鹿児島、大分と、九州を回る旅だったけど、名物を食べ、温泉に入り、観光地を回る、楽しい三泊四日だった。そうそう、その費用は角児が出してくれたんだよ。    その角児の、ちょっといい話を聞いてくれ。  昭三さんが亡くなった後、思いでのわずかな品だけを残し、遺品のほとんどは売却したらしい。彼のいう四千万円には届かなかったが、それでも二千万円を越えた。  その全額を角児は、市内の恵まれない施設に寄付をしたらしい。おれは驚くよりも嬉しかった。彼もまた、(おとこ)をみせてくれたのだ。  今は、社長業に専念していて、想月堂の新工場への参加を希望した、運送会社を選択している最中だ。  それも、自分が苦しかった時に冷たくされた業者も、分け隔てなく入札に参加させているらしく、やはり彼は、昭三さんの血を受けた男だった。  
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