第1章

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2人きりの最後の時間だった。 その時間は和やかなで 穏やかで ありふれた時間。 ドアをノックする音が聞こえて 「神宮様」 部屋の外から声が掛けられる。 「はい」 美桜が答える。 「準備の方はお済ですか?」 「はい」 「失礼いたします」 そこでやっと開かれるドア。 視線を感じそれを辿ると美桜が俺を見ていた。 その瞳は 『こうやって入ってこないといけないんだよ』 そう語っていた。 その瞳から俺が逃れる様に視線を逸らしたのはいうまでもない。 「それでは、分娩室の方に行きましょうか?」 「はい」 美桜が小さく頷く。 そこで助産師が俺に視線を向けた。 「ご主人様は立ち会われますか?」 助産師の質問に、俺は美桜に視線を向けた。 美桜も俺を見つめている。 立ち会うのか。 立ち会わないのか。 それは全て美桜次第。 俺はずっとそう決めていた。 何かを考える様に 少しの間 俺の顔を見つめていた美桜は その小さな手で 俺の手をギュッと握った。 再び、助産師に視線を戻した俺は 「立ち合います」 そう告げた。 「分かりました。では一緒にこちらにどうぞ」 美桜が座った車椅子を押して俺は分娩室へと向かった。 ◆◆◆◆◆ 分娩室に入ってからは全てが俺の予想外の出来事の連続だった。 分娩室に入ってからしばらくすると美桜の痛みは続くようになった。 正確に言えば痛みと痛みの間隔が短くなり、継続的に痛みを感じている状態らしい。 この状態にならないと赤ん坊は生まれてこないらしい。 助産師や担当の女医は俺にも親切に状況を説明してくれる。 それを聞きながらも、辛そうに顔を歪める美桜の手を握るだけで精一杯だった。 俺自身はかなり緊張した状態だったけど それはあくまでも俺限定で 室内は終始和やかな雰囲気だった。 女医や助産師たちは 明るく優しい声で美桜に話し掛け 時折、笑い声が響く。 そして、美桜も……。 俺の想像する出産シーンと言えば 妊婦が痛みに耐えきれず 泣き叫んだり 絶叫したり ……そんなシーンを少なからず想像していた。 だけど、美桜は一言も弱音を吐く事はなかった。 それどころか1度も『痛い』とは言わなかった。 多少、眉間に皺を寄せ 大きく息を吐き出す程度。 見ているこっちが本当に痛いのかと疑ってしまうくらいだった。
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