一、池の主

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不意の出来事と、余りにも想定外の妖の姿に驚いて、つい関わってしまったが、今ならまだ引き返せるはずと、あやめはそそくさと踵を返した。 「じゃ、私はこれで」 “ま、ままま待って下されえぇぇ~” 先程の、偉そうな態度はどこへやら、慌てて引き留めようとする鯰の声には耳を貸さず、すたすたと足早に立ち去ろうとするあやめの背後から──と言うか、実際は頭の中に直接なのだが──、悲痛な声が響き渡って、彼女の後ろ髪を引いた。 “お願いで御座います~。どうか、どうかお助け下されえ!儂はこのままでは、いずれ死んでしまうのですぅ~……” 「え。し、死んじゃう……の?」 余りにも必死な訴えと、死んでしまうという言葉に、あやめはぴたりと足を止め、鯰を振り返った。 それは流石に、可哀想かもしれないと思ったのだ。 “はい、そうなので御座います~” 瞳から大粒の涙を零し、これ以上ない程悲し気に、小さな鯰は彼女に切々と事情を語って聞かせる。 この池で生まれた鯰は、年経て大鯰となり、元々霊力も少し強かった為、そのまま生まれた池の主となって、この辺り一帯の土地をずっと守ってきた。 主となれたのは、池の水源となっている、山の中腹から流れて来る水にも関係がある。 山の大分下を通る、地脈の良い気をたっぷりと蓄えた水のお陰で、以前はもっと大きく、霊力も強かったのだとか。 所がどうした訳か、十年ほど前から、地脈の良い気だけが池に流れ込まなくなってしまった。 水源である滝の水は、変わらずここへ流れて来るのに、である。 その所為で自分は、こんなに小さな姿になってしまった。 このままではいずれ、霊力が尽きて死んでしまうだろう。 だから、気の流れを堰き止めている原因を何とか突き止め、元の姿に戻して欲しいと、涙ながらに訴えられた。 「でも、私なんかに、出来るかな……」 自信なさげに言ったあやめに、鯰はうんうんと首(?)を縦に振る。 “無論、出来ますとも。やってもらわねば、困るのじゃ” 「え?」 “あ、い、いや。この森は、今ではもう殆ど人が訪れぬのじゃ。それが証拠に、この十年で、ここへ来たのは娘御ただ一人。これを逃せば、次はいつになることやら……。 その時にはもう、儂は生きてはおらぬじゃろうな。そうなれば、この森を守って行くことも、もう出来ぬ……”
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