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“暖かくなって来たし、少し山に近い所にしてみるか?これからの季節、茸も山菜もわんさか採れるぜ。俺は食いもんなんか必要ねえが、あやめ、お前は滋養のあるもん食わねえとな” お世辞にも品があるとは言えない、ぞんざいな言葉と口調。 しかしそれは、『声』として喉から発せられ、『音』として空気を震わせ伝わると言うよりも、頭に直接声が響いていると言う方が正しいかもしれない。 それが証拠に、狼は喋っているにも関わらず、口は殆ど動いていなかった。 狼に『あやめ』と呼ばれた娘は、それをさして不思議がる様子もなく、 「茸に、山菜かぁ~。良いかも。はち、そうしよう」 と、嬉しそうに目を細めて言った。 “よし、決まりだな” 言って狼は、旋回するように空中を一度大きく回りながら、眼下に広がる山々や里、川や畑を、赤味がかった琥珀の瞳で見渡した後、 “お!”と声を上げた。 “良い場所見つけたぜ。あそこなら、使えそうだ。降りるぜ、あやめ。ちゃんと俺に捕まってろよ” 背後で娘が「うん」と頷き、自身の背にしっかり捕まったのを確認すると、狼は一気に急降下を始める。 大地に向けぐんぐん降りて行き、突っ込むように森の中へ入って行ったかと思うと、地面にぶつかる寸前、その体がふわりと一瞬上に浮き、その後ゆっくりと大地に四肢で着地。 そして狼が、地にその身をと伏せると、 「よいしょ、っと」 あやめは狼の背から降り、きょろきょろとぐるりを見渡した。 そこは森の中でも幾分拓けた場所で、所々に朽ちた家と井戸があり、嘗て村落であったことが伺えた。 森に侵食されつつあるが、使えそうな家も何軒かある。 「あそこが良いんじゃねえか?」 後ろから声がして、あやめが振り返ると、そこに巨大な狼の姿はなく、代わりに白銀の髪、赤味がかった琥珀の瞳、歳の頃は二十四、五の、目の醒めるような美丈夫が立っていた。 無造作に前を合わせただけで、あとは如何にも適当に細帯を結びましたと言わんばかりに着ているのは、紺に地味な柄の女物の袷で、下には鎖帷子。 何故、女物の衣装なのかは疑問だが、丈のある美丈夫がすっくと立つ様は、大変見応えがある。 …のだが、その首には唐草模様の風呂敷の端がしっかりと括られており、体の倍は裕にありそうなその大荷物が目立ってしまっていて、かなり残念な風体だと言わざるを得ない。
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