一、池の主

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「おう、あやめ。掃除済んだか?」 屋根から身軽に飛び降り、はちが戸の開け放たれた家屋の中に声をかけると、「んー、もう少し~!」と、あやめの声が返って来る。 「屋根はどう?直せそう?」 続く言葉に、彼は頭を掻きながら、肩を竦めて答えた。 「直すには、藁か茅を調達してからでねえと無理だな。その辺から、適当に毟ってくるか……」 言いながら、使えそうな家はないかと周りを順繰りに見ていく。 「そっか~、壁の穴はどうしよう?今日は雪、降るかなぁ?」 夜、冷えるようなら、今日中に塞いだ方が良いかも、と、外を伺いながらあやめが言う。 暖かくなって来たとはいえ、山に近い場所では、冷え込めば雪が降ることもあり得る。 それを心配した彼女の言葉に、はちはくんくんと鼻をひくつかせ、大気の匂いを嗅いだ。 春先のやや冷たい空気の中に、雪の気配も匂いも無いのを感じ取り、彼は「大丈夫だろ」と請け負った。 「雨も、降る気配はねえな」 「じゃあ、急がなくても大丈夫かな」 「さて、屋根直すのは後にして、そろそろ槇と昼飯の材料でも調達してくるわ」 「はーい、行ってらっしゃい!」 家の中から元気に答えた娘に、はちは言い聞かせるように、大声で言った。 「いいか、ちょっとでも変だと思う場所には、近付くなよ。それと、妖に会っても無視しろ。見えない、聞こえないふりしてりゃ、大抵の奴らはやり過ごせるからな。 それでも駄目な時や、危なそうな奴と会ったら、迷わず俺を呼べ。絶対だぞ!」 もう何度となく、彼が口を酸っぱくして言ってきた言葉だ。 あやめは生まれながらに妖の姿を見、声を聞く。 それだけではなく、本人が望むと望まざるとに関わらず、妖を引き寄せ安い性質の彼女は、これまでに幾度も妖絡みの厄介事に巻き込まれて来た。 傍にはちがいればそんな事もないのだが、一人でいる時ほど、人外に出くわす確率は高くなる。 それは偏に、彼が狼の大妖であり、小者ではおいそれと手が出せない程の実力者だからだ。 そしてだからこそ、あやめはこの歳まで生きて来られたとも言えた。 「はーい、分かってるー!」 素直に答えた彼女に、 「絶対だぞ!」 と念押しして、はちは白銀の狼に姿を変えると、地を蹴り空へと飛び立った。
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