第1章

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 私の友人でとても気配りのある(私と全く反対の人物)が居る。  彼女は根は優しい人間なので「愛しい」と言う対象がかなり欲しかったに違い無い。  男子一人、女子一人の子供を持つ未亡人、お兄さんは結婚はしたが、孫は出来ない。  美人の長女はどういう訳か「ナルシスト」の結婚拒否論者である。  「愛しい」対象に可愛いワンちゃんを飼い、5月生まれのメイちゃんと名付けて可愛がっている。  好い遊び仲間で映画を見に行ったり、小旅行をしたりする中である。  処が私の話題に「孫の話」が出ると、「孫の居ない人に孫の話をするものでない、今は亡き菊池哲也さんもそう云ってた」と言う。  私は必ずしも孫の自慢話をしているつもりはない。  赤子の時、幼い時、思い出の中で胸に沁みる「愛しさ」を感じた孫2人、それ故にこそ「私等がこの世に居ない先までも平和な世界で幸せに」とそればかり願っている。  生み出さなければそれはそれで良いのだ。  この世に「罪」を残さず済む。  報道機関の発達の所為で私には科学の発達の裏返しで、「人間が幸せに生きられない世の中になってしまった様に思われてならない。  第二次世界大戦を私達の力で止められなかった様に折角生まれた「愛しい孫二人が、否応なしに核やその他諸々の不幸に引きずり込まれるのでは無いか」と思うと、娘を産み、その娘が愛しい息子2人をこの世に産み出した事自体が「幸せな事」と思えないのだ。
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