第1章

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 真実と事実の違いはなんだと思うかね?  先生はわざわざ、木陰が翳る窓の席を選んで 午睡まどろみ転寝、十時半睡の私を意地悪く問い詰めました。 寝ぼけた、変調の心持で、私はボンヤリと幻覚を感じたように ぼそぼそと、答えました。  真とは真ん中の「真」です。 そこから眺める「実」は常に己の視点にすぎず 五感情報をどうであれ「私」を媒介してしか 認識できないものです。  つまり、体験されないものは真実に非ずです。  そのまま着席したかったが、教授は意地悪な鋭さで では「事実」とは何か。と再び問いました。  でも、私は外を見ました。 夏が終る陽射しは、まだ暑いのに それでも、「終る」事だけは必ず告げるのです。  雁という鳥は日本へ涼しくなる頃、 お盆を過ぎてから、はるばる旅をして来ます。 その時に、小枝をくわえたり足でつまんで来るのだそうです。  長い長い海を渡る夏の途中を飛び、休む場所の為に 小枝を海へ浮かべて、そこへ止まり少し休みを取るのだとか。  私達の夏休みは小枝の上。  沈まないように。  折れないように。  秋になって日本の海岸で、厳しい冬を過ごし 春になれば、また小枝を拾って飛び立っていくそうです。  もちろん、やってきた全ての鳥の小枝が 再び旅のお供をしない事もあるわけですから 海岸には、寂しく小枝が残っています。  私の心地よい場所は、とても少ないけれど お風呂はその1つなのです。  お盆は、お先祖様のお帰りになる場所を ご案内するように灯を焚いてお迎えします。  北国では雁の鳥たちが残していった小枝は 供養として、風呂の焚きつけにする慣わしが伝わっているそうです。  でも、冬はまだ先。 必ず来るけど、まだ先。 「ゴホン、ゲホン。」  先生が咳払いをしたので我に帰り、我に帰るのも私の場所と思い出し 面倒くさげに教壇に向いて、考えていた素振りのまま答えます。 「事」はそこに観測者がいようがいまいが無関係に起きる 自然現象や物理現象を示しています。これを「実」と見做せるのは 「個」をフィルターさせない認識の主に他なりません。 必然、人類を含めて如何なる生物にも、事実の影響下にありながら  事実は確認できません。  認ればそれは必ず真実になってしまうからです。 疑いを持つ姿勢さえ、真ん中からブレる事がないからです。 これは、幻燈に揺らぐ幻想の答えです。  蝉が鳴いています。
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