第1章

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何かピアノに、愛着でもあるような感じがする。 俺はピアノなんてからっきし駄目だったけど。 弾けない猫の方が興味を持つなんて変な気分だ。  このいちいち、おれが飯食ってると横取りにきて、 追い払おうとするとヘニャったネコパンチを 繰り出してくる、そのネコパンチが見事に 曲がった尻尾に似ていて、チビ痩せネコの事を 俺は勝手に【ペア】って呼んでる。 婆ちゃんとコンビという意味ではなくて、 「曲がってる」って意味だ。ひねくれ猫。  とにかくチビで痩せてるので、婆ちゃんはかなり アレコレとエサを用意する、ちゃんと食べる。 どうしたことか、一向に太る気配がない。 それどころか人一倍、いや猫一倍によく食べる。  更に変なのは、この街のボス猫さえも ペアを見ると避けて歩ている。 偉そうなのは、案外に伊達じゃないのかも。 そのせいか、俺が呼んでも無視する。  ただ、あのネコが来てから、婆ちゃんが極稀に、 俺の勉強の邪魔をしないように気を使って、 何か弾いてるから聴きに行った。奇麗な曲だった。  ただ……。奇麗なんだけど、何か曖昧な気がした。 婆ちゃんの手が痛むからとか、無理してるからとか そういうわけじゃなくて。曲が終ってからも考えていた。  ドビュッシーって人の「夢」って曲だよって言ってた。 俺は何でこんな奇麗なのに、曖昧な寂しい感じなの? と聴いてみた。婆ちゃんは何も言わないで笑って。 「どうしてかねぇ。」  って言いながら、膝のペアを撫でていた。 この猫は婆ちゃんの膝の上だと、得意満面で腹立たしい。 婆ちゃんはよく言う。 「この子は奇麗な尻尾だねえ。」 **********************  俺はリュックを背負って、食料やらシェラフやら とにかく色々詰め込んだ二つの、サイドパックを 乗せて、婆ちゃんに「夏休みだから星でも見てくるよ」 そう言って出発した。  婆ちゃんは心配している素振りはないけれど 「また戻ってくるかい?」と、多分、不安な言葉を言った。  俺は 「もちろんだよ、ニ、三日だけ勉強の気晴らしだから。 心配しないでくれよ。」そう言った。  気晴らしだ。  もう戻らないかも知れない。 もう戻れないかも。 シグナルに捕まるかもしれない。  駅前の自転車屋で、いざという時の補修道具を買った。 自転車を見てもらってる間に、多分、昼休憩になって 旅館の横道にいた少女が寄ってきた。  莢(サヤ)だ。
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