第1章

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 俺は外へでてるのだろうか? 坂がゆるやかに昇りになっていく。 少し休憩するべきか、初心者だ。無理は危険だ。  危険か?ここはまだ籠の中じゃないのか? 檻の中じゃないのか、霧の中じゃないのか。 あやふやの中だ。曖昧だ。  はっきり明瞭に声がした。  「シン。あんまり揺らさないでくれ   気持ちが悪くなってくるから。」  ん?なんの声だ?確かに聴こえた。 【シン】って呼んだのか?俺にか? 誰だ?その名前を知ってる奴はいない。  婆ちゃんと住むようになってから 俺はそれまでの【針(シン)】という名前を消した。  生活者登録証明を変更した後に 名前を【筆ニ】フデジと改め認可された。 だから大学でも筆ニとしか呼ばれない。 成績は優秀でもないし、字も上手く無い。  婆ちゃんが、字の上手になるようにって 筆の字をくれた。何で2なのかというと 俺が生まれる前に亡くなった爺ちゃんは【筆一】という。 街新聞に載った事があるほど、達筆だったらしい。  見たことはあるが、憶えていない実親より 見たことも無い、写真の爺ちゃんに憧れてた。 今でも婆ちゃんが好きな爺ちゃん。  我に帰った、違う。いまはっきり聴こえた。 誰かが俺を【針】って呼んだ。間違いない。 婆ちゃんは、その名前を知っているが呼ばない。 誰にも話したことは無い。  この星が誕生するより前から、他人だった実父母が まだ生きているとしても、その名を呼ぶ理由は金輪際無い。 あの人達は【汽車】で、先の町へ行ったのだ。 見送った事だけは、よく憶えている。 『安全で快適な汽車の旅をお楽しみ下さい。』  我に帰ってから、急激に霧が晴れてきた。 同時に強い日光が突き刺さってくる。 汗が目に入って沁みる。陽射しも沁みる。 上り坂も終って木陰が見えたとき。  生まれて初めて、湖というのを本当に見た。  写真じゃない。大きいし奇麗だ。 自転車を投げて、近寄るだけで涼しい。 手を浸して……心地よい。 本屋にも図書館にも、この辺の地図はない。 取り扱っていないのは、専門職人の地図屋の為だ。  道はここで途切れていた。湖の向こうに山がある。 頂上に雪がつもってる。溶けた水が湖に流れてるのかな。 もしこの先を目指すとしたら、湖を渡るボートが要る。 なら、いつか渡ってやる。  あの対岸の山を登って、階段の街を見下ろしてやる。  急に腹が減ったので、リュックを降ろして
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