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でも、彼を見間違えるはずなどない。
「真実子、また茫然としちゃって。どうしたのよ?」
「香織、あの人よ。ほら、あそこのカウンターのそばに立って、蝶ネクタイの外人と喋っている人」
真実子は人差し指でそっと彼のいる方角を指し示して見せた。カウンターを背にして座っていた香織は上半身をねじってバーの方を見た。
その時、黒い細身のスーツを着こなし髪をアップにした、いかにもキャリアな美人が店に入って来て、男と外人に軽く片手を挙げて挨拶をすると、二人の会話に加わった。
知り合いらしい。何が可笑しいのか彼らはジェスチャーを交えて笑い合い、女はさも親しげに男の背広の腕をつかんだりしている。
香織はこちらに向き直ると、判断を下した。
「確かに悪くない感じ。なかなかいい男だわ。でも真実子のタイプじゃないんじゃない?」
「それって、どういうことよ。私みたいな女は冴えない男と付き合え、っていう意味?」
真実子がふくれると、香織が訂正した。
「違うよ。ただ私の経験からいうと、ああいうタイプの男は、女が簡単に自分になびくことを知っているから、すぐチョッカイを出したりするのよ。
遊びで付き合うならともかく、真面目な真実子にはどうかな、と思っただけ」
正体不明の美人が登場したことで気分が沈んでいたところに、香織の言葉が追い討ちをかけた。
真実子が溜息まじりに再びカウンターの方を見やった時、申し合わせたかのように彼がふと振り向いた。そしてこともあろうに、また軽く片目をつむってみせたのだ。
心臓が再びどきりと鳴り響いたように思え、真実子はあわてて眼を伏せた。
あれは、憶えていてくれた、という合図だろうか。それとも香織が言うように、見知らぬ女にチョッカイを出しただけだろうか。
「真実子、探していた彼氏をせっかく発見したんだから、挨拶ぐらいしておいたら?」
「そんなこと、できないわよ。それに、横にキャリアっぽい綺麗な女の人がいるじゃない」
「だからどうだっていうわけ?」
「だって・・」
彼が他の女性と一緒にいるところに遭遇するとは、想像していなかった。いったいどう挨拶をしたものか、まったく考えつかない。
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