第2章 プリンスの正体

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 次の瞬間には、真実子の唇は男の唇にふさがれており、舌が濃密に絡み合った。相変わらず身体を動かすことはできないでいるのに、なぜか、抱き合っているという確かな感触がある。  いや、いつの間にか自分の腕はしっかりと男の背に廻され、その逞しい肉体を抱き締めているらしい。  脳天を貫くような官能の歓喜に襲われ、瞼の裏で見えない火花が散り、電流に似た甘い痺れが、硬直した身体に細波のように伝わった。足の指がしなる。  でも誰なの?    問いかけなければいけない、と焦っているのだが、肉体は甘美な余韻に死んだように横たわったままで、声が出ない。  誰なの?   やっと声を絞り出してみたが、彼は答えなかった。  彼にはまだ名前がないんだ、と納得する。そうだとすると・・  思わず恥部をそっと指でまさぐると、ぬるりと濡れていた。こんなに私を燃え上らせる男は誰だっただろうか。知っているはずなのに、どうして顔を思い浮かべることができないのだろう。  懸命に記憶をたどろうとして、眼が醒めた。  頭はぼんやりとしているのだが、抱き合った後の快感だけが妙にリアルだ。ねぼけながらふと右手の指先を見ると、なんと鮮血に染まっている!  真実子は驚いて半身を起こした。  あわててシーツを捲ってみると、まるで夢で起きた犯罪の証拠のごとく、点々と赤い沁みができており、パジャマや下着にも血痕が生々しく付着していた。  月曜の朝っぱらから面倒臭いことになったものだ。真実子は急いでシーツを剥がし、パジャマや下着とともに、生理の血がこびり付いた箇所だけ簡単に水洗いし、汚れ物を洗濯機に放り込んだ。  吉祥寺駅まで行く途中、井の頭公園の裏口近くにコンビニがある。  貯えが切れてしまった生理用タンポンを買いに寄ってみると、茶髪でなかなかイケメンの若い店員がレジにいた。  今まで見かけたことのない男だ。生理用品だけ買うのはためらわれ、昼食用にと玄米のおむすびをつかんでレジに向かうと、品物を袋に詰めた店員が意味深に微笑んだ。  こちらに気でもあるのかと勘ぐってから、自分の顔に男を誘うような媚びが浮かんでいたのかもしれないと憶測し、真実子は思わず赤面した。  通勤用のショルダーバッグにコンビニの小さなビニール袋を投げ込み、逃げるようにして店を出たのだった。
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