第2章 プリンスの正体

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 なんだか、誰かが、今朝の淫らな夢をのぞき見ていた気がする。  夢だったとはいえ、情事の快感の痕跡が顔に張りついているように思え、羞恥心のあまりうつむいたまま、早足で駅へ向かった。  会社が入っている高層オフィスビルは、下層階と上層階でエレベーターホールが二箇所に分かれている。出勤時のピークともなると、ホールは電車のプラットホーム並みの混雑だ。  エレベーターはほぼ満員になっていた。一台待とうかと迷ったが、腕時計を見るとすでに始業時間で、真実子は無理やり身体を滑り込ませた。  十七階のボタンを押してドアの前に立つ。エレベーターが停まるたびに人が少しずつ吐き出され、空いた分だけ真実子は少しずつ後退りした。  ドアが機械的に開閉を繰り返すのを何気なく見ているうちに、頭が混沌としてきた。  今朝の卑猥な夢は何を示唆していたのだろう。  男に抱かれたいという欲求不満が、あんな夢に繋がったのだろうか。それとも生理が始まったから、たまたまちょっとツノが出ていただけ?   いやに現実味溢れる夢で、気怠い快感がまだ素肌にまとわりついている。  気づくと、エレベーターはすでに十七階に到着していた。  あわてて降りようとして、真実子はつんのめって隣の人にぶつかり、ショルダーのストラップが肩からはずれると、コンビニの袋が滑り落ちた。  振り向くと、なんと袋からタンポンの箱とおむすびがエレベーターの床に転がり出ている。 「おむすびころりん、か」  とぼけた声の主は、乗り合わせていた定年間近の相澤さんで、その背後から押し殺した笑い声が洩れ聴こえた。  相澤さんが親切にエレベーターのボタンを押してドアを開けていてくれるので、真実子は急いでしゃがみ、床に落ちた物を拾い上げた。  その時、後ろに立っていた男の靴に眼が行った。磨かれた上質な靴で、背広のズボンから上着へと眼を走らせてふと見上げると、彼だった。  例の彼がちょっとそっぽを向きながら、笑いをこらえ切れないという表情で、コーヒー店のペーパーカップを手に立っていた。  気まずさで顔が赤くなるのが自分でわかった。笑い声を洩らしたのはきっと彼に違いない。  逃げ出すようにエレベーターを降りた真実子の背後で、ドアが無愛想な音を立てて閉まった。  偶然の巡り逢いにしては、ひどい。格好が悪過ぎる。
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