落胤

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***** 幕府の小御所と呼ばれた直義が、南朝の武将になってしまった理由。それは足利家の執事・高一族にある。 鎌倉幕府が滅んで、後醍醐院の政治も失敗し、世は混沌としていた。 武士の頂点に立てば、やらねばならぬことばかり。尊氏一人では手が回らない。 尊氏は分業し、高師直と直義に任せられるところは任せた。仕事の能率は上がったが、これが両者の対立へと繋がっていく。 人はほとんど好き嫌いと利害で動く。師直と利害が一致する者は師直の下に集まり、上杉のように高一族が嫌いな人は、直義の下に集まって派閥が生まれた。両者間には利害の不一致と不仲がある。自然、両派閥は対立して行く。 「錦小路殿は古いな」 人は風習や常識の外のことはなかなか思い付かないもの。長年、鎌倉幕府の下で生きてきたから、その仕組みが頭に固定されている。 時代が変わったからといって、急に今までとまるで違う新しいものなんて思い付かない。直義でさえそうなのだ。 まして、全ての武士が鎌倉幕府の下に生きていたのである。馬鹿な彼らにどうして新しい発想があるだろう。
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