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悲しんでいても嘆いていても気付かれない。表情の変化が乏しい上に、自らも顔に出さないように意識しているからだ。その意識も、今ではほとんど無意識になっている。無自覚に行われている。感情に伴う言動を見受けることが出来ない。
そのせいで周囲の人達は、綾女も例外ではなく園村のことを『内気な善人』だと思っている。持ち前のマイナス思考と無表情がいかんなく発揮されている結果である。そんな評価をされていることに、園村は狂おしい戸惑いを、果てしない罪悪感を覚える。声を嗄らして訴えたくなる。でもそれが、表に出ることはない。
時計を見る。始業一分前。先程まで話し声や笑い声に彩られていた教室は、シャープペンシルの芯を落とした音すらも聞こえてしまいそうなほどの静けさに包まれていた。時計の秒針がうるさい。それに加えて自分の鼓動までもが耳障りに思えてくる。あり得ないことだけれど、周囲に音が漏れているのではないかと不安が増長する。しかし傍からは、余裕を持って構えているようにしか見えない。
廊下の方から気配がする。いや、気配などというものではない。気を配らなくても分かる。耳につく。嫌な奴が来た。舌打ち。機嫌が悪いのだろうか。足音で分かる。今日は良い方だ。引き戸が開けられると、空気が更に引き締まる。唾を飲み込む音さえも許されない、息苦しい教室。
「起立」
熊のような巨体の半身が入ると同時に号令がかかる。それと共に生徒たちが立ち上がる。その時に椅子を引きずってはいけない。擦れる音がすれば遅刻扱いになってしまう。
「礼」
「遅い」
教壇に立ち荒い鼻息を吐き出してから、矢田明仁はそう言った。低くて粘り気のある小さな声。やっと聞き取れるくらいの音量なので、生徒の誰もが耳をそばだてる。聞き逃してはいけない。聞こえませんでした、の一言でその日は欠席扱いだ。
「号令は、僕が入ってすぐじゃないと」
図体の大きさとは裏腹に神経質なクラス担任は、そう言って目を細める。視線の先には日直当番がいた。日直当番である彼女は目を逸らさないようにするだけが精一杯で、矢田の言葉に対しての反応が出来ない。矢田は更に目を細める。ほとんど閉じているようにしか見えないそれを見て、女子生徒が声を上げようとするが、既に手遅れだった。
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