第15楽章 別れの曲

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講師のレベルを下げようと何度も言ったのに、母は頑なに拒否した。 「一流のピアニストを育てるには、一流の講師が必要なのよ」というのが母の口癖だった。  ピアノを弾いてもちっとも楽しくなくて、俺はなんのためにピアノを弾くのか分からなくなった。 ショパンコンクールで入賞して、世界的に有名なピアニストになるというのは、母の夢でしかなかった。 俺の夢ではない。  でも、毎日必死になって働いている姿を見ているので、ピアノを辞めることはできなかった。 以前は事あるごとに母に反抗していたのに、それもできなくなった。 俺は人形のようにピアノを弾き続けた。 家には、嬉しくもないトロフィーが増えていくだけだった。  高校の時、立て続けに祖父母が死んだ。 最初に祖母が病気で死に、その後を追うように祖父も死んだ。 その頃から母は急激にやつれて、白髪が増えていった。 美しい人だったのに、その面影は日毎に薄れていった。  そして俺は音大に進み、そこでもピアノの実力はトップだった。 ショパンコンクールは五年に一回のみ開催される。 更に年齢制限があり、この年齢制限も度々改定されるので、自分のベストコンディションの時にコンクールが開催されるかは運任せなところもある。 当時の年齢制限は17歳~28歳まで。 俺は19歳の時に初めて出場資格が整うので、その時期を最高の状態にして挑もうと頑張っていた。
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