第15楽章 別れの曲

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ショパンコンクールに出場するためには世界的に有名なピアニスト二名からの推薦状が必要だった。 音大の先生の中には昔有名だったピアニストもいたが、世界的にとなると推薦状を書いてもらうには心許なかった。  だから俺はショパン国際ピアノコンクールの日本オーディションに出場することにした。 そのオーディションで優勝すれば、日本ショパン協会の推薦を貰ってショパンコンクールに出場できる。 俺はその機会に賭けることにした。  コンクール嫌いだった俺も、ショパンコンクールはさすがに真剣になった。 ピアニストなら誰もが憧れる夢舞台。 世界中に俺のピアノを聴かせて、度肝を抜かせてやりたかった。 俺はショパンにはまり込み、周りが一切見えない状態だった。 頭の中はショパンのことで一杯で、授業そっちのけで練習し、まるで何かに憑りつかれたかのように没頭し続けた。  自ら進んで専念していたのは初めてだった。 母はそんな俺を温かい目で見守っていた。 急激に老け込んだ顔で、嬉しそうに俺の練習するピアノを聴いていた。 「洵のピアノの音色が、私の元気の源よ」といつも言っていた。  そしてショパンコンクールオーディション予選日の一か月前。 母が突然倒れた。 末期癌だった。 母は即入院し、医者にどうしてこんな状態になるまで放っておいたのだと言われた。 母は「気が付かなかったの」と言ったけれど、きっと嘘だ。 闘病生活になったら、働けなくなって、俺にピアノを続けさせることができなくなるからだ。 母はそういう人だった。 いつだって俺のピアノを一番に考える。 俺のために生きて、ボロボロになって、それでも俺に笑顔を向ける。
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