第15楽章 別れの曲

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俺は眉根を寄せて、ピアノの音色のする方向に顔を向けた。 そこはガラス張りの楽器店だった。 一階にピアノが数十台置かれ、二階には弦楽器が置かれている。 試弾できるらしく、客がでたらめにピアノを弾いていた。 俺は吸い込まれるように楽器店に入っていった。 久しぶりに間近で見る漆黒のピアノ。 指の腹で冷たい側板を撫でるように触ると、胸の奥の眠っていた熱い塊がざわざわと騒ぎ始めた。 ……弾きたい。 湧き上がってきた気持ちは、欲求ではなく、もはや衝動だった。 突き動かされる抑えられない衝動。 ショパンコンクールのオーディション予選日から、俺はピアノを弾けなくなった。 手が震えて、指先に力を入れることができなくなったのだ。 もう二度とピアノを弾くことはできないと思っていた。 でも今なら……弾ける気がした。 ピアノの椅子に座り、白盤に指を乗せた。 指先の震えはない。 人差し指に力を入れて白盤を押すと、ポーンと高い音が響いた。 五本指をゆっくりと確かめるように一本ずつ動かすと、それに応えるように音が鳴った。 よく調律されている、いいピアノだった。 曲を弾きたくなった。 何を弾こう。 俺はふと、天井を見上げた。 何百もある記憶しているレパートリーの中から選んだ曲は『別れの曲』 あの日から俺の中で時間が止まっていた。 再び時間を動かすとしたら、この曲から始めたい。 母を俺の演奏で弔いたい。 練習曲 ホ長調作品10‐3 『別れの曲』
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