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意識が遠のきそうになった。
母と目が合うと、母の顔はだんだん遠子さんの顔になった。
遠子さんは愛おしそうに俺の顔を見上げている。
ああ俺は、結局今も縛られていたんだ。
母が死に、自分の意思でピアノを弾いていると思っていた。
俺はいまだに母に縛られていたんだ。
母に似た遠子さんに寄りかかり、ピアノを続けていた。
俺は誰かが側で支えてくれていないと何もできない男なのだろうか。
金銭面を頼り、精神面さえも、頼っていたのかもしれない。
遠子さんの孤独を埋めてあげていると思い上がっていたが、俺は遠子さんを母の代わりにして寂しさを紛らわしていたのかもしれない。
これほどまで自分を卑しいと思ったことはなかった。
自分の全てに嫌悪した。
なんて下品で弱く利己的な人間なんだ。
こんな人間は人を愛する資格はないし、愛される資格もない。
杏樹を欲しいなんて思うことすらおこがましい。
頭の中で鳴り響いていた『葬送行進曲』は『大洋』にかわり『革命のエチュード』が加わった。
まるで壊れたオルゴールのように、曲が唐突に変わり、重なり合い、ぐちゃぐちゃになっていた。
止めようとしても止まらない不協和音が頭の中で鳴り響く。
オルゴールなら、完全に破壊してしまえば音は止む。
けれど、この音は自分の頭から鳴っている。
止めるには、自分の頭を破壊するしかない。
「あああああああ!」
俺は叫び、ピアノの鍵盤をでたらめに叩きつけ、なんとか別な音を出そうと必死で戦った。
大好きなピアノの音色が、尊敬するショパンの曲が、俺を苦しめる。
不協和音は鳴り止まない。
俺は棚に仕舞ってあったウィスキーの蓋を開けて、そのまま一気に喉に流し込んだ。
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