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「あっ……」
言葉が上手く出てこない。
私の真後ろにいた人物は、魅惑的な微笑を携えて、大人の色気を身体に纏っていた。
洵が「遠子さん」と呼んでいた女性だった。
「あなた前にもアマービレに来ていたわよね」
遠子さんは、にこやかに微笑みながら、店のドアを開けた。
「ええ、まあ」
「洵に会いに来たの?」
サラっと放った言葉が、ずしっと胸に響いた。
遠子さんは、この一言を私と目を合わさずに言った。
どういう意図で言っているのか分からず、遠子さんの心境も読み取ることができず、私は戸惑った。
「会いにというか、演奏を聴きに……」
嘘は言っていない。
洵って誰ですか?
なんてとぼけても、きっとこの人は嘘を見破るだろう。
「そうなの。でも残念だわ、洵はピアノを弾けなくなったの」
「そんな! まさか怪我をしたとか!?」
遠子さんは、とても悲しそうに首を振った。
「理由は分からないの。精神的なものかもしれない。洵は前にもピアノが弾けなくなった時期があるから」
私の知らない洵の過去。
洵にそんな時期があったなんて。
遠子さんは、洵のことを私以上に知っている。
「洵のことが心配で、ここ最近毎日アマービレに来てるの。洵も弾こうと試みたりはするんだけどね。駄目みたい。指に力が入らないんだって。すごく落ち込んでるの」
どうしてだか遠子さんの言葉が惚気に聞こえた。
私の前では落ちこむ姿を見せてくれる洵を献身的に支えているんだと自慢されているようでもあった。
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