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どういうわけか、言っていて泣きそうになった。
まるで洵が遠い存在になったかのようだった。
嬉しいのに、寂しい。
心から喜んでいるはずなのに、どうして笑顔がぎこちなくなってしまうのだろう。
「ありがとう。
杏樹に何も言わずに出て行ったのは、成功する自信がなかったからなんだ。
俺は5年前に同じコンクールで大失敗をやらかした。
トラウマを引き起こすかもしれないと思っていたから、絶対に推薦オーディションにだけは出たくないと思っていた。
だから、誰にも何も言わず、一人で戦いたかったんだ」
「そう、だったの……」
洵はいつも、色々なものを背負って演奏してきた。
お母さんの期待。
遠子さんの束縛。
洵は自由になりたかったのかもしれない。
だから一人を選んだ。
それは私にとって喜ばしくない事実だった。
やはり私は、洵の荷物にしかならない。
「あの頃は、色んなことに自信が持てなかった。
自分の精神力の弱さ、ピアノの演奏技術。
俺はいつも誰かに支えられていた。一人じゃ何もできない男だった。
そんな自分を変えたかったんだ」
「そして洵は、見事に変わったわ。一皮も二皮も剥けて、前よりずっといい男になった」
「そうか? まあ、昔よりは自信が持てるようになったかな」
「昔って、まだ数か月しか経ってないわよ」
「なんだか遠い昔のような気がするんだ。杏樹に会えなかった一日一日が、とても長かったから」
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