第1章

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 池田屋事変が過ぎてから、沖田総司は夏真っ盛りに いつもと変わらずにこやかで、子供達や犬と戯れては 京菓子、駄菓子を問わずに、美味しそうに頬張る。 子供達にも犬と分け合い、遊んでばかり。  ご存知の方も多いとは思うが、この屈託の無い青年から 予想も出来ない壮絶を極めた、沖田総司の稽古は有名で、 余りに酷い荒稽古のせいで、普段の無邪気な笑顔が ひっくり返ったように、相手が倒れようが庭へ飛ばされようが 竹刀をとめないのが有名。猛者稽古と伝わっている。  審判を近藤局長が務めていても「そこまで!」としても止めない。 咎めた近藤先生に対して、沖田総司は笑いながら言った。 「そこまで!」で不逞浪士は、素直に刀を鞘におさめません。  沖田総司の稽古は武芸ではなく、生死の稽古だった。 それもあって、隊士も稽古を願う者は殆ど居なかったらしい。 誰にも、死んで欲しくなかったとも感じる。  一番隊は決死隊である。 池田屋以後から、沖田総司は胸の病の薬を飲んでいたようで、 かなり嫌がって逃げ回っておられたとか。 夕暮れを過ぎれば、お茶を飲むと寝付けないとか。子供のような。 彼は名前も知らないお茶は飲まない主義だ。  ちょうどその頃の話。  新撰組を管轄している会津藩や京都奉行、所司代も 散々にてをやいていたもの達が暗躍していた。  彼らを尊皇攘夷の志士と言えば聴こえはいい。  でも、実際はその誉れこそを利用して金を巻き上げる。 天朝様の為、軍資金を調達いたす。有り難く思え。強盗と違わぬ。  これは佐幕であっても同じ事。つまりは盗賊集団。幕府の為に。 こういった不逞浪人を始末するのも新撰組の仕事の1つ。  ただ大店、呉服商店島屋が主人である伝衛門を筆頭に 店の者が皆殺しになった事件が、京都奉行や所司代でもなく、 新撰組の裁量に委ねられたのは、沖田総司による。  彼が壬生寺境内で、鬼ごっこをして遊んだ伝七坊や。 沖田総司は「伝坊」と呼んで可愛がっており。 銀杏が好きで、沖田さんにいっぱいあげるとはしゃいだ。 その季節を楽しみにしていた。沖田も楽しみにしていた。  沖田総司は素性を隠したまま、島屋に入って 酷い血塗れの惨状を、全て確認して廻る。  沖田総司はどんなに見るに耐えない非道な現場でも 冷静に検分できる。だから鬼の沖田総司とも呼ばれた。  腕や足が転がり耳が壁にひっついて血のりで落ちない。
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