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綺麗な指先がコーヒーのカップを掴み、沙羅が立ち上がった。
「……沙羅!」
思わず立ち上がりかけた私の肩に、沙羅の手のひらが優しくのる。
サラリと、栗色の髪が頬に触れた。
沙羅が私の耳元に、唇を近付けた。
耳にかかる、小さな吐息。
少しくすぐったくて、柔らかな空気が動いた。
「意気地なし」
仄かに、ヴァーベナとコーヒーの香りがした。
「……痛……」
耳朶に、小さな痛みが走った。
顔を向けた瞬間に、紗羅は身体を離した。
一瞬だけ見えた、紗羅の微笑み。
揺れる髪にかき消される。
そのまま、後ろ姿を見せて去って行く。
ピンと伸びた背筋。
後ろ姿なのに、その美しさは際立っている。
「……痛いよ、沙羅」
噛まれた耳朶が熱を持ち始める。
私はそっとそこに触れながら、自分の中に生まれた別の熱を持て余す。
綺麗で、冷たくて、美しくて、残酷な紗羅。
もしもあなたに触れたなら。
あなたが振った男の子達みたいに、私もいつか捨てられるのかな。
だから私は、あなたに触れることができない。
サバンナの草原に身を隠して、ライオンの狩りを追いかけるハイエナみたいに。
私はあなたをそっと追いかけるしかない。
いつか、あなたに捕食される日を夢見て。
END
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