第1章

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37. 太古の昔、人類も自然の一部であり、其処には完全な食物連鎖の一員として暴力、身体的能力こそが全てであったはずだ。その暴力を圧倒するに至らしめたのは知力である。知力の発達は我々人類を自然界から異なる世界に推し上げた。自然界と人間界は多少の相互関係を持ちながらも別世界として認識しなければ、成り立たない。では、知力を圧倒する次世代の力とはなんだろか?全てを肯定する訳では無いし、その経緯までの思考段階の違いはあるのだろうがシュタイナー教育の意義が少し理解できる。要するに我々人類は知性の先へ進まなければならない。しかし、それは知性から齎される物では無いのかもしれない。進化とは適応力だと聞いた事がある。その時になれば解るのだろう。随分と気の早い話だ。知力も満足に覚束無い僕に何が解る物か。 38. 哲学者は自身の研究を広く解りやすく様々な人に伝えるべきである。これは伝統工芸の職人が廃れていくのに等しく、「目で盗め」や「体で覚えろ」等の非合理的な自己顕示欲的欲求の解消、言うなれば自分の通ってきた道を辿って自分の偉大さを知れと言うような物で、非常に無駄が多い。 要点を掻い摘み、的確に後世に残す術を用いてそれを実行すべきである。 学校教育に於いては、義務教育以降の勉学に就職の為の保険としての学歴構築の勉学ではなく、もっと実践的な分野への教育方針を持つべきだと思う。 実践的とはそれこそ人とのコミュニケーション能力であったり、この世のシステムの成り立ちや、思考の方法である。 根本的な「人間とは何か?」等を一緒に考え教えてくれる高校がどれ位あるだろうか? 社会に出て役に立つかどうか解らない知識を詰め込み、それを判定基準とした学歴と言う名刺を持たせるより、自己と言う存在が何であるかを学ばせた方が、社会に出て自分の才能の発揮が出来る職に就けるのではないだろうか?
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