第1章

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1. 人は常に孤独であり、家族、伴侶、その一切は寂しさを受け止める為の欲という名のツールにすぎない。 その孤独を受け入れ寛大なる精神の元に幸福と呼ばれる主観に辿り着ける事こそが人生の一つの定義なのかも知れない。 2. 欲、欲する物は世界と言うルール、概念の中に於いて必要であれば手に入れたい物であり、手に入れる為に突き詰めれば誰かを傷つけることもある。自己の快楽、況や欲望は悪意のスタート地点なのかも知れない。 3. 過去、現在、振り返って過ちを犯したならば、自分は責めてはいけない。自分は確実に存在している物であり、この世界で、この世で唯一つ見間違う事なき唯一の事実である。自分を責めるのではなく、自分を受け入れる事が「我思う故に我あり」の先に繋がるのではないだろうか。 4. 感情の起伏は理論に於いて邪魔な存在でしかない。 5. 自分にとってメリットの無い状態でも一緒に居続けてくれる異性こそが本物の伴侶である。 故に、余裕、簡潔に言うならばお金持ちのような人はすぐに離婚する。 逆もまた然りで、極貧であればあるほど、周りが見えなく利己的になり、離婚する。 コレが感情の好きであったり、愛と呼ばれるものの正体ではなかろうか。  6. 人が愚行に走る理由は、思考と言う迷宮の中で行き詰まり、短絡的な答えしか導き出せないからである。 その短絡的と言う物が、短絡的であるが故に、「愚行」となる。 思考の停止、或いは、思索の飽和、その行き詰まり。 馬鹿げた犯罪の多くは、この理論によって心理分析されるものであると推測できるのではないだろうか。 馬鹿げた犯罪の定義、自殺、強盗、強姦、等の法に則り生きて行く上で必要性の無いものの事。 他者から見て、馬鹿だと思われる、言うなれば、すぐに法の網に掛かる事が明白である犯罪。 「少し考えれば解る」の「少し考える」事の出来ない状態。 これが「愚行」として定義される。 一般論という、多数派意見、マジョリティに該当しない犯罪行動に走る思考回路。
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