第1章

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7. 人が歴史を繰り返し、同じ過ちを犯すのは、その記憶と記録の継続性の限界にある。それは、誰しもが自己と言う物語の主人公であり、また、唯一無二の経験者であるからなのだ。自己の経験は他者に与える事は出来ず、その事柄、経験、体験、実績、失態、あらゆる人生での道程を、文献や口頭で伝えようとしようが、否が応でも欠落部分は大なり小なり存在し、それこそが繰り返される過ちの一因となるのである。歴史を学ぶ意味の無さは此処に肯定され、また、その学ばなければならない重要さも此処に存在する。この矛盾こそが今日に至る学問の然るべき結論に想到するのではないだろうか。 8. 我々は常に現在である。現在以降の全ての物、過去の中に存在するのは消費された時間の残骸であり、それは現在を存在する我々にとっては何の根拠でもなく、過ちを学び取らねばならない苛烈極まりない諸悪の所業でしかない。 9. 宛も自分が大きく移動したかのように見せかける。騙されてはいけない。 または、衒学的な野心を満たす為の手法としての哲学論、況んや稚拙な自慰行為である。 事実の集まりが世界である。世界と言うのは事実が集まってこその世界である。仮想や想像では世界とは言えない。つまり神の存在は確認が取れない現在では世界の一員では無いし、世界にとってそれは必要ないものである。 10. 70億人間が居れば、70億の世界がある。70億の神が居る。認識できる確実な物、我、取り巻く物、その二つ。 存在と世界。確実に認識される物。 当たり前の物を当たり前と確証つけること。それが哲学。万物の究極であり、万物の確証であり、万物の証明する事。それが哲学。 11. 欲を捨てなければ人間は進化しない。 概念に捕らわれている時点で考えはその範疇を抜け出せない。全てを肯定する。進化はそこから始まる。 12. (意味が不明だった為に削除)
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