第1章

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28. 「真実を語る時には勇気が必要な場合がある」と、そのような考えに至った瞬間、既に目の前の事象に捕らわれている状態で先に起るであろう事象に推測が及んでいないと言い切れる。何故ならば、その場で嘘を付かなければ怒られる等の恐怖や、面倒で相手にしたくない等の怠慢な状態にその場を凌ぐ為の選択肢として真実を語るか偽りを語るかの選択肢が現れるからである。真実は真実であり、そこを語るに勇気は必要ない。勇気を必要とするならば何かしらの欲求が口を封じてるに他ならない。その欲求を排除する為の心理的機動力として勇気と言う言葉が使われるのではないだろうか。 29. 言葉の独り歩きは多数からの印象によって成り立つ。本来の意味を持つ言葉も繰り返し似通ったイメージの言葉で聞かされ続ければ、それがその言葉の本質と勘違いしてしまう。例えるなら、アナーキズムとは反社会的行動、暴力的、パンクス等のイメージがすぐに浮かび上がるではないだろうか?僕の解釈では概念に捕らわれない人をアナーキストとして認識している。どちらが本質かは勉学不足の為まだ確定した答えは出せないが、この様に言葉はその発生の根源から大きく逸脱して使われる事が多様にある。時代による変化とも言える事項だが、大事なのは今の時代に使われている意味と本来の意味、全てを学ばなければならなと言う事である。 30. 子供を育てるならば絶対に間違えてはいけない事がある。「叱る」と「怒る」は別物であると認識しなければならない。子育てには叱る事のみが必要であり、怒る必要性は無い。怒りとは本来自己を肉体的、精神的に傷つけた加害者に向けられるべき感情であると推測しているので、自分の子供を育てていると自覚をしているならば怒るという感情は出てくるはずが無いと思われる。 31. 自然界と言う物は本能で活動する生命にとっての世界であり、理性を持つ我々人間には人間界と言う世界がある。自然界には食物連鎖、人間界にはヒエラルキーと、どちらも階層制を持つものである。
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