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1995年5月5日、造形作家安倍用明は新宿駅トイレの青酸ガス事件をテレビで見ながらそのままの作品を意図した。ガラス工房へ車を飛ばし袋状の形を作る。ビニール袋ではあまりに弱い。安倍は人並みに油絵から美術を始めたが版画、人形、陶器、オブジェなど手法を変え、飛びつきの安倍と綽名される。溶接やガラス工芸も気の向くままだ。ガラス瓶の次は教職にいる知り合いの名を騙りこまめに希硫酸を買った。シアン化ナトリウムは以前アルバイトをしたメッキ工場へ電話して卸業者を尋ね十キロのポリ容器で入手。径四センチ厚さ三センチほどのペレットをこれはビニール袋に入れる。便器は清原に貰ったものが、『デュシャンではない、ポースリンでもない』と墨書してアトリエ隅にある。新宿の現場を覗き似た色のタイルを買った。足載せ台の片方無いのがかえって現実感を増しそれらすべてを板ガラスに覆って完成。
連休最後のごった返しの中、女房を迎えに成田へ行った安倍はロビーで清原に会った。できたぞと安倍が言えば清原もできそうだと答える。
二人は去年松本サリン事件の頃、推理小説の話題ついでにこんな会話をした。
清原がヒラメのような両目を浮かして言う。
「古来、誰もいない大きな森で木が倒れたら音はするのかというパラドックスがある。それほどひそかな殺人、殺人に見えない殺人。森の住人を追い出す合理的な仕掛けと木を倒す時間的な細工」
「気の長い殺人か」と安倍。
「継続的な息の長い殺人。銃のアメリカ風、毒のイギリス風、どちらも安直で芸がない」
「フリスビーを投げて犬に取らせる芸があるだろ。おれはフリスビーを投げた人間に噛み付く犬ってのを考えたことがある」
「そんなじゃだめだ。きみが中学の時ぼくに正拳の突きを真似して、二十年後お前は死ぬとか言ったよな。そのてのやつ」
「よし、考えよう。何か賭けるか」
「いいよ、何を」
「女房ってのはどうだ」
よくある話、隣の花は赤い道理で二人は互いの女房を羨ましく思っていた。清原の言うバカ女房バカ息子は安倍に言わせると美人で聡明な嫁さんとお前似の息子。安倍が嘆くうるさい女は清原の目に愛嬌溢れる溌剌の女性と映っている。女房は賭けたけれどこの時はまだ半ば冗談、老人になるほど長い年月の話の種、そんなつもりだった。
ロビーに安倍千春が大きなトランクを二つ押して現れると瞬時に清原の目が耀いた。
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