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人気のない野球部で 必然的にピッチャーをやっていた俺。 父さんの残像を抱えながら 部のみんなや、 監督の期待もあって どんなに調子が悪くても どんなにちっぽけな練習試合や 親善試合でも いつでも全力投球してしまっていた。 ――「寛太は上手いな」 小さい時からの無理が、 肩の限界だという悲鳴を、 ずっと かき消して聞こえないようにしていた。 「野球だけが全てじゃない」 医者から 宣告された、 ピッチャーとしての不適合 13歳の夏 俺は 生まれて初めての挫折を味わった。
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