第1章

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私が短歌結社に入っている理由は多くの人に自分の歌を読んでもらい意見を聞くためにあります。 でも、実際はそんなに多くの人の意見などきけません。聞きたければ本社歌会にでることですが、これは危険が一杯です。 何が危険かって? 本社歌会は選者先生が多数いらしゃるので先生の歌を批評する可能性が二分の一であるのです。 自分は口さがないので何度も選者先生の歌を批評してしまい身の細る思いをしました。編集委員長はそれでいいのですとおっしゃいましたが、言われた先生が面白い筈が無い。 その先生の私に対しての批評で一度もほめられたことがありません。 新人賞に応募したときの評に手厳しいものがありました。 10年で5回応募して一度次点に入ったのが最高でした それは自分の能力のなさですが、言いたかったのはその先生の毎年の評のきびしいのがハンパではないと言う結果です。 自分は新丘集という欄にいます。 この欄までは毎月担当の選者の評が貰えます。 10首選に選ばれるのが楽しみですがここ2月選ばれていません。 今月の歌で評を頂いたのが *軒を打つ雨音に目覚む夜明け前さびしさ募り輩{ともがら}想う* でした 評」雨の音に目覚めた後再び眠ることも出来ず朝床に臥していると自然と想われるのは来し方行く末のこと。下の句は老境にあるものには共通する心情か。 2句は字余りになっても「目覚むる」とつづけたいところ。 この評を楽しみにして続いている
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