猫の手鏡

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先生はわかってますと頷く。そして、つーっと手を持ち上げて指し示した先には岩があった。岩といっても普通のものではなく、意図的に積み上げられて一枚の板のようになっている。よくみれば鮮やかな赤色でなにか模様のようなものが描かれていた。夢がその赤色にそっと手を伸ばした時、背後からガサガサという音が聞こえた。 「あんまりそこに触んないでもらえる?」  森の中に少年特有の高い声が響く。聞き覚えのない、とげを含んだような声。けれど、声と音だけだ。姿は夢の視界にはない。 「申し訳ないねえ……でも、触っただけで壊れるもんでもないでしょう。それより、鏡を返してもらえませんか?」 「それは無理。邪魔しないで」  短く並べられた言葉の一言一言がつき刺さるような鋭さを持ち始める。そして、それは口を挟む暇もないうちに音から物へと切り替わった。飛び出してきた影が先生、ばれていたはずの生き物へと飛び掛かる。しかし、届かない。紺色の着物をまとった先生の、背中のあたりに浮かぶように現れた幾つかの狐の尾がその勢いを殺し、押し返す。戦力均衡なんて最初からありはしないのだから。狐は人の姿を残したまま、微笑む。後左右、それに上下。どこから影が走ろうと、矢を飛ばそうとそれは軽くあしらわれるだけ。唯一、その守りを抜けた矢も狐の頬を掠めて終わった。 「さて、と」  狐の雰囲気が変わる。静から動へ、守から攻へ。普通ならばそう。けれど、狐が狐である所以はそこでその選択をしないことにある。この妖はこんなときでさえも別の場所へと注意を向けていた。 「夢さんこちらはお任せします」  それだけ残すと狐は跳び上がる。真上に勢いよく。矢が何本か掠めるがやはり、狐の本体をとらえるには至らない。狐はまだ人の形を、その微笑みを保っていた。ただ、心臓を狙ったはずの矢が着物の裾をちぎり、そこについていた鈴を地面に叩きつける。
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