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そして、突然に敵は現れた。
6月11日、敵戦闘機、延1100機による奇襲攻撃。
折角整備した飛行場に、徹底爆撃。
日本軍の飛行機は、一機も飛ぶ事無く壊滅。
その翌々日13日には、戦艦8巡洋艦11を伴った、敵上陸部隊7万が。
18万発の艦砲射撃により、守備隊の戦車・野砲は殆ど壊滅。
だから、言わんこっちゃ無い!
あれでは、単なる攻撃目標。
清吾は、歯ぎしりし後方へ避難。
島民達も、慌て
「兵隊さんは、わし達を守ってくれますよね」と
然し、敵の攻撃により通信網も寸断され、組織的な行動が出来ない。
敵海兵隊2万の上陸により、益々混乱。
その夜、残った兵員と村人はさらに奥へと避難。
16日、残存する戦車を集め6000の大隊が一斉攻撃。
然し乍ら、圧倒的な敵火力により壊滅。
逃げ惑う兵隊や、民間人に対して無差別発砲。
これは、後々迄に島民の恐怖に。
海上では、南雲中将率いる連合艦隊が、マリアナ沖海戦に。
ここでも、敗北を喫した日本軍は制海権も制空権も奪われ、大本営はサイパンを見放した。
清吾は、敗走しながらも島民を励ました。
「必ず、生きるのですよ」と
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