深夜

3/10
前へ
/558ページ
次へ
「欽田の写真だがな、無いぞ」 あれは、ほんの数時間前。若頭の松平が、言い放ったのだ。 若頭の松平は、まるでアイスピックだ。氷さえ容易く砕くような言葉を平気で吐く。そんなことは百も承知だから、今さら驚きもしなかった。それでも佐藤マモルは、腸が煮えくり返る思いだった。 「佐藤よ、おまえも十九や二十のチンピラじゃねえんだ。歴とした昭和会雛田組の若い衆だったらよ、ウチと対立している龍応会欽田組の欽田組長サマの人相ぐらい、予め押さえておけよ」 欽田の写真はカチコミの当日に何枚か見せて貰える約束だった。それが、いざ当日となったら写真が無いときた。 佐藤マモルは法律で区切られたラインの遥か向こう側の世界の住人だ。ラインの向こう側には、救済措置など無い。だから写真が無いと言われたら、写真が無いなり手探りで殺るしかない。それを理不尽と思うなら、堅気に成り下がって安ネクタイぶら下げるべきだ。それからテレビのコマーシャルか何かで見た、車内空間の広さだけが自慢の不格好なミニバンでも買えばいい。ついでだから、言うこと聞かない生意気な女房子供も何処かで買ってこい。 「欽田の特徴言うぞ。一回しか言わねえから一回で暗記しろ」 暗い怒りを圧し殺しながら、頷いた。 「取り敢えず、金魚のふんから行くか。欽田政夫のボディーガードは佐竹。三十二歳。こいつは怪力自慢の大男だ。マジで馬鹿力だから、佐竹と素手でやりあったら、確実に死ぬぞ。で、肝心要の欽田は、佐竹ほどじゃねえが筋肉質でいい身体つきしてる。体格だけ見たら、とても四十八歳には見えねえよ。あのおっさんは、夜でもサングラスをかけてる場合が多い。頭はオールバック。ポマードでギトギトだ。それから、欽田の愛人は巨乳だ。これがまたよく目立つんだよ。良い目印になるぞ――以上だ。覚えたろ。もう二度と言わねえ。あとはてめえで考えろ」 松平は一転して猫なで声で囁いたのだった。きっと、ボイスレコーダーに録音されるのを避けるためだ。 「標的(マト)をめがけて拳銃(ハジキ)弾丸(タマ)を全部撃ったら、おまえの兄弟分の半田と北田が乗ったクルマが迎えに行く。後のことは何も心配するな。笹木が身代わりになって出頭するから――この務めを果たしたら、おまえは出世して幹部だよ」
/558ページ

最初のコメントを投稿しよう!

236人が本棚に入れています
本棚に追加