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「おかしい――」
僕がそう、小さくつぶやいた言葉は、同時に他に発せられた〝日本語〟によってかき消された。
「やぁ、はじめまして、みなさん! そしてようこそ!」
その声はとても陽気で、僕のように今、置かれている状況など把握できない、精神不安定な人間から発せられた声には聞こえなかった。
どちらかというと、何もかも悟っているような、ここがどこなのかを知っているような人間が言う口調――そして言葉――。
また、その声によって、僕の耳をおかしていた煩くて耐えない声の響きは、次第におさまっていった。まるで、授業始めに教室に入ってくる先生を見て、口を閉ざす学生のようだ。
更に言い加えると、その時の学生がとる行動は必ず音のした方を見て、状況を頭に伝えることだった。
と言っても、僕はあくまで記憶喪失者だ。はっきりとした学生時代の記憶を呼び起こせないが、頭の隅に、先生が教室に入るとき、そのドアをガラっと開け、その音にビビっていた僕がいたのを覚えている。
実際、僕は今、その学生時代の時と同様に、そして反射的に音のした方を向いた。でも、それがあまりにも周りにいた人間と被ったものだから、とても奇妙だったと言いかねない。
更には、今の一斉に振り向いた動作のせいで、空気が振動して、あたかも効果音が付いたかのようにも聞こえた。
そして、僕の視線の先には、知らぬ間に巨大なスクリーンが用意され、またその前にはその10分の1にも満たない大きさの人間が立っていた。
その人間は普通に僕たちと同じ立ち位置にいたら、この群衆にまみれて見えないのだが、どうやら彼は何か台の上に立っているに違いない。顔を少し上げれば、その人間の姿を誰もがとらえることができた。
そして、そこにいた人間はあたかも余裕そうに、頬を上げて、不気味に笑った。
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