9月10日から忌明けまで

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9月12日。今日で母が亡くなって1ヶ月が経った。 明日で忌明け。ばあちゃんが母の遺影と話してるのを聞いてたら泣けてきた。 ばあちゃんは忌明けが明けたら母とはお別れだと思ってるらしい。 今晩一晩でお別れやと繰り返す。 お母さんも痛いしえらかったのに長いこと世話になったのに、何もしてやれへんかったと涙ながらに謝る。 私はお別れではないと信じてる。ずっと母ちゃんはそばにいてくれていると信じてる。 姿は見えへんけど、天界とこっちの世界を行き来してると信じてる。 そう思ってなかったら心が壊れてしまいそう。 だから母に聞いてみた。 母はロウソクの炎を揺らして答えてくれた。 お別れじゃない。またいつでも会えるって。姿は見えなくても、すぐそばにいてくれるって。 そしたらなんか安心した。 ずっと気になってた本を探して、見つかったのも手伝ってか、無理しなくても微笑むことができるようになった。 こうして自分なりに淋しさと辛さに折り合いをつけているのかもしれない。 今やからこそ思う。 死後の世界があるとかないとか、もう会えないとかずっとそばにいてくれるとか、 それはもう、信じる信じないの問題でいいんじゃないの? 元々人間なんて都合のいい人間なんやから、幸せ過ぎるときは夢なら冷めないでと願うし、その逆の場合は夢であってほしいと願う。 それならいっそのこと、お互いを否定するのではなく、宗教のようにどちらを信じても自由なんじゃないの? 臨死体験もスピリチュアルも霊感も、信じるか信じないか。 だってどっちが正しいのかなんて実際死んでみなわからへんのやもん。 臨死体験と実際の死は違うのかもしれへんし、何年も前に死んだ人が生き返ったとかも、あと数年経ってたら違うかったかもしれへんやん。 だから私は、明日になっても何年たっても、私がばばあになっても、母親がそばにいると信じる限りは母親が存在するんやと思う。 存在を否定さえしなければ、忘れさえしなければ、ずっと身近にいられると思うんだ。 目には見えへんけど、見えへんだけでいつまでも繋がってると思いたい。
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