3人が本棚に入れています
本棚に追加
2014年8月12日、母親が亡くなりました。享年58歳、心筋梗塞でした。
母は若い頃から病弱で、何度も入退院を繰り返したり、晩年は入院こそしませんでしたが、膠原病、うつ病、神経痛など、私が知っているだけでもこれだけの病を患っていました。
それでも調子のいいときは作業所に行ったり、8月の始めには中古車まで買って、クーラーがよく効くと喜んでいたのに…。
私の結婚式からたったの半年…、孫も見ることなく、結婚式の写真が遺影になってしまいました。
私と母は、昔から腹を割って話すような関係ではなく、普段はよく話すけど世間話や冗談ばかりで、腹を割って話すときはいつも手紙やメールでした。
一人っ子ということもあり、なかなか親離れ子離れができず、一卵性親子と母は自分でもよく言っていました。
そんな母は12日の早朝、トイレに起きてなかなか戻って来ないことを不審に思った父に、倒れているところを発見されました。
母は救急車で運ばれ、懸命の救命措置の甲斐もなく、逝ってしまったのです。
私がそれを知ったのは、仙台から滋賀の家に帰ってきたときでした。
従兄弟から電話をもらった時には、既に母は亡くなっていたのですが、私がびっくりしないようにとの配慮で、
『母ちゃんが倒れた。危ないかもしれへん。そのまま葬式になるかもしれへんからすぐに帰って来い』というものでした。
こんなことにならなければ、7月の末に一週間程滋賀に帰っていたので、お中元は郵送して、9月に滋賀の友達と遊ぶついでに帰ろうと思っていたのに…。
それまでに、母に仙台の牛タンのお土産送るって言ってまだ送ってなかったから送ろうかと考えていたのに…。
現実が把握できない私は、主人に『母ちゃん死ぬの?帰りたくないよ…』ともらしていました。
ちょうどその頃、主人は仕事が忙しい時期で、どうしてもすぐには休めないとのことで、一人乗り慣れない新幹線で滋賀に向かいました。
その間、思い出していたのは10年前のこと。
当時、母はうつがひどく、OD(大量服薬)をして人口呼吸器に繋がれた時期がありました。
あの時も母のお葬式を想像して、みんなになんて言おうと心を痛めました。
その後、幸いにも後遺症もなく、母は入退院を繰り返し、服薬を続け、うつ病は落ち着きました。
最初のコメントを投稿しよう!