仙台にて

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10月3日に仙台に帰ってきました。 仙台に帰ってきてからは、以前のように、突然なんとも言えない淋しさに襲われて泣き出すこともなくなりました。 母親の遺影と約束した、牛タンを食べに行くというのも、4日の土曜日に実現することができました。 母やったらこう言うやろうなってのが、実際会話してるように心に響きました。 霊感も何もない私の感覚ではありますが、牛タンをことごとく気に入ってくれたようで、「また行こに♪」って、言ってる気がします。 8日の朝方、また母の夢を見ました。 今回も、死に関する本を読んでたからかな?? ー家族を亡くしたあなたにー死別の悲しみを癒すアドバイスブックって本です。 その本によると、私は今、喪失の認識の段階にいるようです。 母ちゃんは亡くなった。だから、どこへでも自由に行けると思う反面、滋賀にいるときには、どこかに出かけてるような気分になるんです。 特に、母が亡くなっていたらしいトイレというのが滋賀の家は外にあり、遺影は見えません。 だから、母が出かけていく様子をはっきりと想像できるんです。 近所の人に借りてる駐車場に行って、車に乗って出かけたり、部屋でパソコンしてるような気にもなります。 まだ母が亡くなったことを認めたくない自分がいます。 仙台で鏡見てたら、これは自分やけど、自分に限って母親を早くに亡くすわけがない。 そんな非現実的な可能性が現実に起きるわけがないって思えてきちゃうんですよね…。 話が大きくそれてしまった。夢の話でした。 あれは主人のアラームが鳴ってからなんで、朝の5時は過ぎていたでしょう。 主人は眠りが深く、すぐには起きられないので、二時間前から何度もアラームを鳴らします。 その間に見た二つの夢のお話。 一つ目は、私は夜、真っ直ぐな道を運転していました。 本当にカーブなどない、真っ直ぐな一本道。 でも、土砂降りの雨のせいで、有り得ないくらいスリップするんです。 私は20キロくらいで慎重に運転していました。 前を走る車や、すれ違う車が、次々にスリップして道の下に落ちていきました。 高さは2メートルくらいなんで、大破したりはしていませんでした。 シーンは変わって、私は滋賀の家に居ました。
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